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2015年8月 6日 (木)

WE ARE SANGA FAMILY vol.2

WE ARE SANGA FAMILY vol.2
トップを信じきること

(取材日:2015年7月25日)

サンガを取り巻くサンガ内外の方から、サンガに対する熱い思いを語っていただき、さらにサンガの魅力を再発見しようというこの企画。
第2回目は、元サッカー日本代表にして元サンガの選手、現在は家業の老舗料亭 松山閣の社長としてご活躍の傍ら、Jリーグのマッチコミッショナーを務められたり、KBS京都のサッカー中継ではサンガのゲームの解説をされたり、また、関西サッカーリーグからJを目指すレイジェンド滋賀FCのGMを務められるなど、まだまだサッカーとのかかわりが深い松山 吉之さんにお話をうかがいました。

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―まずは松山さんとサッカーの係わりからお聞かせください

子供のころ、「何かスポーツを」という両親の勧めで何をやろうかと思い、当時テレビで人気だった赤胴鈴ノ助に憧れ、剣道を始めました(笑)子供心に、最初は基本の練習の繰り返しで、防具をつけての試合形式で打ち合うようなことはなかなかさせてもらえないとわかってはいたものの、やはりそこは子供、「楽しくない」と感じ、辞めてしまいました。しかしスポーツは何かやっていた方が良いということで、かつて父がやっていたサッカーを勧められ、紫光クラブに入団したのがサッカーとの出会いです。

―サッカーを始められてからは、それこそ小・中・高校・大学ととんとん拍子に大活躍だったとお聞きしていますが

いえいえ、まあ、小学校の時には他の子よりも体が大きく、足も速かったので。運動神経にも自分なりに自信はあったので、上達は早かったのかもしれません。小学校4年の時に飛び級で6年生のチームに入れてもらって枚方フェスティバルという大会に出場することができました。その大会ではベストイレブンにも選ばれて・・・。
それがサッカーを本気で始めるきっかけになったというか、本当の意味で楽しいと思えた最初でした。その時に小さな楯をもらったのですが、その楯は、今でも大切に持っています。

―大学卒業後、実業団でサッカーを続けられた訳ですが、当時まだJリーグがなく、いわゆるプロサッカー選手ではない実業団でサッカーを続けられることに迷いはなかったですか

当時、各年代で代表選手にも選ばれていましたし、学生時代にはすでに日本代表にも選ばれていましたから、日常の生活がサッカーありきというのが当たり前でしたので、特に迷いはありませんでした。しかし、実業団に入る時にはサッカーを終えた後のことも考え「しっかり仕事ができる」ということを考えて会社を選び、古河電工に入社しました。「仕事をしながらサッカーを続けるのはしんどかったでしょう」とよく言われますが、当時はそれが当たり前でしたし、周りのみんなも同じでしたから、特に苦しいと思ったことはなかったですね。

―その後Jリーグというプロリーグが発足することになり、松山さんもJリーガーとしてプロの選手となるわけですが

古河電工は、ジェフ・ユナイテッドになるんですが、当然私もジェフから条件の提示をされました。しかしそのタイミングで実家に戻らなくてはならなくなり、当時関西で唯一ガンバ大阪がJリーグに名乗りを上げていましたが、そこの監督に高校、大学の先輩である釜本邦茂さんが就任することになり、うちに来ないかと誘っていただき、その流れで松下電工に移籍、1992年からガンバ大阪でJリーガーの第一歩をスタートすることになりました。

―ガンバ大阪で5年間プレーされた後、京都パープルサンガに移籍されますが

年齢も30歳になり、そろそろサッカー選手としても終わりに差し掛かっていましたが、やはり最後は故郷でユニフォームを脱ぎたいという思いがありました。その前年、京都パープルサンガがJリーグ入りしていた訳ですが、サッカーを始めたのがそのサンガの前身になった紫光クラブ、そして選手として終わるのもサンガと、結果としてはお世話になったチームに恩返しをする形で、現役を終えることができました。幸せな現役生活だったと思います。

―ちょっと余談になりますが、松山さんといえば現役最後の試合でGKまで経験されたという貴重な体験をされていますが、あの時の気持ちはどんな感じでしたか

選手交代のカードをすべて切った後で、GKが退場になったんですが、その時はチームの中で年齢的に自分が一番上だし、自分がやるしかないな、という感じでした。「出来るかな」とか「嫌だなぁ」という感じは全くなくて、自分はサッカーを始めたころからセンターフォワード、その後ストッパーとかサイドハーフ、ウイングバック、今はこんな呼び方しませんね(笑)とにかくいろんなポジションをやらせてもらいました。ここでGKやったら、全部のポジション制覇するな、くらいの気持ちでした(笑)

―GKの練習は、されたことがあったんですか

いやいや、もちろんやったことなかったです。完全なぶっつけ本番でした。そのあと天皇杯で同じシチュエーションがあって・・・その時は当然自分がGKだな、と(笑)

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―さて、このようにサンガとは縁もゆかりもとても深い松山さんですが、最近ではKBS京都のサッカー中継の解説者としてもおなじみですね。解説がわかりやすい、と評判ですが、その解説者としての松山さんにお尋ねします。今シーズン開幕から苦しい戦いが続いているサンガですが、先日残念なことに和田監督を解任、新たに石丸ヘッドコーチが監督に就任されましたが、監督が代わるとチームは変わるんでしょうか

もちろん変わると思います。変わらないなら監督を解任する必要はありませんから。監督が変わったからと言って、選手の技術が突然向上することはもちろんありません。主にはメンタルの部分です。たとえば攻撃を重視する監督から守備を重視する監督に代われば選手の起用方法も変わるし、監督が選手に求める動きも変わってくる。そういう意味で変わってくると思います。しかし一番大きなことは、チームの雰囲気が変わる、ということです。今シーズンのサンガはなかなか勝てないことで「この監督の言うことを聞いていて、次は勝てるんだろうか」という嫌なモヤモヤ感が充満していたと思います。このモヤモヤ感を監督を交代することで一旦リセットし、選手たちを、それこそシーズンが始まる前のフレッシュな気持ちにすることが一番の大きな狙いだと思います。

―今シーズンのサンガの目標は「J1昇格」でしたが

「J1昇格が目標」ということを簡単に口にはしますが、今現在のJ2はレベルも相当上がっていて自動昇格の優勝、準優勝、プレーオフ圏内の6位以上というのはかなりハードルの高い目標だということはしっかり押さえなければならないと思います。その厳しい戦いを戦っていけるだけの戦力が揃っているか、同じポジションにどれだけボリュームがあるかというところが問題になってきます。そこに今回サンガでは監督の交代がありました。選手に監督が変わったことに対する適応力も問われてくると思います。監督が変われば指示も当然変わってくる。ある程度いろいろな監督のもとでプレーしてきたベテランは、その変化に柔軟に対応できることが多いですが、経験の浅い選手はなかなかその対応が難しいかもしれません。

―では今シーズンの残りをその目標に向かって戦うために、やらなければならないことは何でしょう

まずはトップを信じること、信じきることです。監督が考えていることすべてを選手、スタッフはもちろんフロント、ファン、サポーター、サンガにかかわるすべての人々が信じきって、みんなで同じ方向を向くことです。「監督はこう言っているけど違うんじゃないかと」いうような人がいるようでは駄目。私がガンバ大阪でヘッドコーチをしていた時にJ1優勝を果たしましたが、その時は選手、スタッフはもちろん、ホペイロ(用具係り)やマネージャー、それこそ掃除係のおばちゃんまで同じ方向を向いていました。そうやってみんなが同じ方向を向いたときに本来の力が発揮でき、困難な目標も達成することができます。
サンガも今は苦しいですが、石丸新監督を信じきって同じ方向を向いて頑張るしかありません。ファン、サポーターもなかなか結果が出ないと文句も言いたくもなるとは思いますが、選手は100%の力を出し切って戦っています。結果が出ないときほど励ましが欲しいものです。もちろん気持ちの入っていないプレーなどにはブーイングも必要ですが、ファンやサポーターも同じ方向を向いているんだということを示す、サポートをする姿勢が大切だと思います。

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―なるほど、まさにチームだけではなく、ファン、サポーターも一丸になって戦わないと結果はついてこない、ということなのでしょう。では、最後になりましたが、これから松山さんがどのような形で京都のサッカー界、またサンガに関わっていかれようとしているのか、お聞かせください。

先ほども言いましたが、私のサッカー人生のスタートはサンガの前身になった紫光クラブです。そしてサッカー選手の現役を退いた今現在もサッカーに携われているのは、地元京都に京都サンガF.C.というプロのクラブがあるからです。サンガには自分が関わったたくさんの人たちがコーチをしていたりします。そういう意味ではチームももっと強くなってほしいし、また、町全体がサッカーで盛り上がって欲しい。スポーツには人を感動させる力があります。スタジアムで試合を見て、選手のひたむきに走る姿にパワーをもらえた、というような経験を一人でも多くの方に味わってもらいたいと思います。今は京都のため、お世話になったサッカーのため、その恩返しだと思って自分のできることでサッカーに携わっています。将来の夢としては、街がサッカーで盛り上がるためにも、自分のチームが持ちたいですね。現実には規模としては小学生や中学生といった子供のチームになると思いますが、将来地元京都でプロサッカー選手になりたいという目標を持つ選手を育てたいですね。また同時に指導するコーチ陣も今はなかなかそれだけでは生活ができないので、たとえば昼間はうちの会社で働いてもらって、夕方の練習にはコーチをしてもらう、昔の実業団サッカーチームの選手ような形でコーチをしてもらい、同時にコーチも養成するような形を考えています。そんな選手やコーチが将来、地元京都のプロチーム、京都サンガF.C.でプレーすれば今まで以上に街もサッカーで盛り上がると思います。そんな私の考えに賛同していただく方がおられたら、たとえばコーチの昼間の就職口をお世話いただけるとか、今はグラウンドの確保が難しいので、企業さんがお持ちのグランドを週に1回でも2回でも貸していただけるとか、そんな協力を頂けたら、それこそ街全体がもっとサッカーで盛り上がれると思います。

さすがは元Jリーガーだけあって、サッカーに対する愛情は並外れていると感じるくらい熱いお話を聞かせてくださった松山さん。京都のため、お世話になったサッカーへの恩返しは、まだまだ続くことかと思います。その気概たるや、まさにWE ARE SANGA FAMILYと呼ぶにふさわしい。松山さんのおっしゃるように、苦しい時こそ選手、スタッフだけでなく、ファン、サポーターもトップを信じきって、同じ方向を向いて一緒に戦い続けましょう!!その中にきっと松山さんも・・・おられるはずです。

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